イエス・キリストと私
- 浜田靖彦

- 2019年12月18日
- 読了時間: 2分
日曜礼拝に通ううちに、私は、
「イエス様のように生きていきたい。」
と思うようになりました。
イエス様の奇跡の人生が、私の幼い傷を癒やしてくださったからです。
私の父は忙しい人でした。一週間に一度会えればいい方で、
小学校に上がるまでは、それが当たり前だと思っていました。
ところが小学校の入学式で、私はその理由を知ることになります。
私の名札が、父の姓ではなく、母の姓になっていたのです。
私は、いわゆる私生児でした。
しばらくして、父に認知してもらうのですが、
その後、父の家といさかいが絶えなくなりました。
見るに堪えない母の姿に、
「私が生まれてこなければ、母は苦しまなくてすんだのに。」
そう思うようになっていきました。
そんな時に聞こえてきたのが、教会の鐘の音でした。
教会の日曜礼拝は、私を苦しみの底から救い上げてくれました。
貧しい人たちや、病気の人たちを、次々に救っていく、
そんなイエス様の生き様に、私はすっかり心を奪われました。
「生まれてこなければ良かった。」
そう思っていた私でしたが、
「自分のためではなく、他の誰かのための人生であれば生きていける。」
と気付くことができました。
この時から、イエス・キリストの生き様は、私の人生の道標になりました。
辛い経験でしたが、「他の誰かのための人生」を歩いてきたことで、
温かい家族と友人に恵まれ、現在は幸せな日々を過ごすことが出来ています。
この幸せを、もっと多くの人たちと分かち合いたい。
そのために私にできること。
それは歌うこと。
幼い私の心を震わせた、あの賛美歌のように、
心に響け!
と歌い続けていきたいと思います。






コメント